遠征全装備・北日本編
太東から再出発にあたって、自分なりに考えていたことがあった。一つは、あれば便利だなと思う程度の装備は一切持っていかないこと。そして二つ目は南日本で使用した全イクイップメントとは異なるコンセプトを持ったイクイップメントに変えてみるということだった。一人になるということで装備面で大きく変わったのは(正確に言うと変えたかったのが!)カヤックだった。タンデムからシングルに変わり、そしてラダーを装備していないカップファーベルを選んだ。ステーションワゴンから、身軽なスポーツカーへと乗り換えた感覚だった。このシングルカヤックは容量が小さく荷物が多く持てない。これは不必要な物を持ちたくないために、このカヤックを選んだということになる。パドルは、245cmのナローブレードから218cmのショーと&ワイドブレードのパドルに変えた。よくナローブレードとワイドブレードの比較だとか、どちらが海に向いているとか議論されているが、カヤックとパドルには相性みたいなものがある。また、どんな漕ぎ方をするのかによっても、大きくパドルの選択には関係してくるだろうと思う。一人になることで、もっと突っ込んだパドリングも出来ると思い、ヘルメットも取り出しやすい位置に備え付け変えた。電気系の装備ではラジオと懐中電灯以外は一切持たなかった。去年は持っていた無線、携帯電話、GPSは持たなかった。ナビゲーションでの大きな変更点は、去年の海図に対して今年は20万分の1の地勢図を使用したこと。今回のようにコースタルカヤッキングであれば地勢図のほうが使い勝手がよさそうな気がした。離島が多く横断の続く南日本ならまた話は違ってはくるが。
「心身共に余分な物は一切削ぎ落とす」、というのが北日本での大きなテーマであったので、これらのカヤックイクイップメントを選択したことは、この旅の目的を果たすのに重要な役割を果たした。
KAP FARVEL NIMBUS
カップファーベルを初めて見たのは、97年の11月だった。この時はまだプロトタイプだったが、次の年のコンセプトを考えると、一目見てまさにぴったりという感じを受けた。小さく、軽く、そしてラダーのないことが僕の望むカヤックだった。まずはそのプロトタイプのカヤックを、強風波浪注意報の発令された駿河湾で50kmの横断を試みた。いくつかの改良点をニンバス社に伝えたところ、自分の希望通りに仕上がったカヤックが、3月の末に届いた。改良点は以下の通りである。一つは、カヤックの軽さと強度を得るために素材はケブラー。カヤック自体の総重量は約17.5kgになり、食料その他の装備がフル満載でも、自分一人でカヤックの運搬が出来たほどだった。カヤックのカラーは色を付けていないので、ケブラーの地の色がそのまま見えている。そしてもう一つは、バウ側のバルクヘッドを自分の足の長さに合わせて作り変えてもらい、コックピットの無駄なスペースを無しバウ側のコンパーメントの容積も広げた。
パドリングウェア
CAFFYN PADDLE CANOE SPORTS
パドルは、普段シングルカヤックを漕ぐときに使っているカフィンパドルを使用した。ただし、このパドルは以前から長さとフェザー角を自分の好みに改造したものだ。225cmのものを218cmと短くし、フェザー角を浅くし、手首に負担がかからないようにした。さらにジョイント部分は混合ボンドで接着してワンピースにした。接合部分にはガムテープが巻いてある。
遠征の収支決算
お金は所持金が少なかったということもあったが、あまり使わずにすんだ。お酒は買わない、食堂などで外食はしないと決め、ずっと自炊を貫いた。前回ではかなりの出費になった飲み物代も、毎晩麦茶を湧かしていたので、一切ペットボトル飲料などは購入しなかった。かかった費用は、食料代、たまに行く銭湯代、あとは雑費で月に2万円も使わないほどだった。実は太東を出発した時より宗谷に着いた時のほうが懐具合はよかった。これは某雑誌の原稿料が毎月振り込まれていたからだ。