池間島〜久米島230km横断記
出発前夜。
この遙か彼方に次の島・久米島がある。
月2日午前5時に宮古島地方気象台へ行き天候確認。気象台の人によると、この2〜3日天候が大きく変わる事はなく、午前11時には波浪注意報も解除するという話だった。コンピューターを使用した現在の天気概況を聞き検討した結果、本日の出港を決める。久米島まで直線距離で約220km。48時間以内で到着できるという考えから、睡眠は一切とらない作戦である。作戦名「バンザイアタック」。仮に48時間以上漕ぐことになり、天気が悪化すれば、非常に危険なことも承知していた。それだけにこの区間の横断では、風向きに注意する必要があった。むしろ風向きさえ良ければ、35時間以内でいける計算だった。
60時間分の全飲食料。
他のキャンプ道具など全ては
久米島の郵便局留で送ってしまった。
2日、午前9時池間島を出港。予報では今日は、南の風7〜9m、波2〜2.5m。GPSが示す方角は47度。南南東の風が強かったので、コンパスは約50〜55度をキープして漕ぐ。最初の4時間は手を休めることなく漕ぎ続けた。午後8時ストロボライトを点滅。サイリウムを折り、デッキコンパスの横に取り付ける。出発から11時間、75km。薄くかかっていた雲も晴れ、満天の星空になり、月もないのに夜の海は明るかった。サイリウムの光でコンパスを見続けると目が疲れるので、水平線に近い低い星を見つけそれを目印に進んだ。大型船がよく現れ、その度に漕ぐ手を休めて様子を見た。夜の船の動きを見るのは大変難しい。ときおりブレイクした波が肩越しに過ぎていく。2回程沈しそうになったがブレイスしてしのぐ。夜半過ぎになると時間の進み方が遅く感じられ、朝が待ちどうしかった。
出発前に皆から頂いたお守り。
3日午前6時、空も明るくなり元気がでてきた。休憩と同時にGPSを確認。21時間、173km。当初24時間で150kmを漕ぐ計算だったので、この数字には喜んだ。残り約60km。久米島は標高から計算すると約71km手前から見えることになる。これは単なる机上の計算であって見えないのはわかっていた。しかし久米島の方向には、陸地を示すような雲がモコモコとあった。ひょっとすると陽があるうちに、久米島に到着できるのではと思った。いや、そう思いたかった。朝方から風が南東に変わり、次第に風も強く波も大きくなってきた。風向きはカヤックに対して少しずつ横向きになった。これ以上天候が悪くならないことを祈った。
正午、うっすらと見える久米島を水平線に発見。逆立ちしたい程嬉しかったが逆立ちはできなかった。出発から27時間、194km。北緯26度13分、東経126度36分、残り約25km。自分の描いていたラインよりも2マイルほど北にいることを海図で確認。目標物が目視できたので、精神的にもかなり楽になった。しかしこの後14時間も、反流、リーフに苦しめられるとは…。
出発から約21時間後。
朝日は明るさとともに元気を運んでくれる。
夕方になると風と波はおさまってきたが、本郷は疲労の為ダウン。カヤックのスピードがかなり落ちてきた。海上で二日目の夜を迎える。午後8時頃、入港予定の港まで5〜6kmのところで、あまりにも久米島の明かりが近づかないことに気づく。我々はずっと逆流の中を漕いでいたのだ。海図には表記されていたが、予想外の強さだった。流れに逆らわず上陸地を変更し、北西よりに進路を変えるとすぐに陸が近づき始め、あと200〜300mで上陸という場所まで来た。するとどこかで聞き覚えのある音が聞こえる。なんと久米島もリーフに囲まれた島で、その音は波がブレイクした音だったのだ。リーフの切れ目はないかと探して見るが、全く見当たらない。すると今度は島のすぐ脇を流れている潮につかまり、島づたいに流され始めた。別に危険な方向に流されているわけでもなかったので、そのまま潮に身をまかせ、朝まで海上にいる事を覚悟する。
しかし、4日午前1時、港をサーチライトで明るく照らしている工事現場を発見。波がブレイクしていない所を探し、工事現場のスロープにカヤックをつける。衛星携帯電話にて「作戦終了」を作戦指令本部に連絡。しかし、途中一度も連絡を入れなかったので、安否を気づかい心配していた。三澤にこっぴどく怒られた。もつれた足で久米島に上陸。カヤックから出られた、ただそれだけで良かった。
全走行距離231km、所要時間41時間。
久米島に到着するまではパドリング終了とはならない。 選択肢はないのだ。 | 41時間後、夜中の2時に到着。 朝起きたらこんな所に寝ていた。 |