2003 Queen Charlotte Expedition

ハイダ族

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トーテムポール
カナダ政府が、明確な先住民族として認定している3つのグループがある。それらは、ファースト・ネーションズ(先住民族)、メティス(先住民とヨーロッパ人の両方を祖先とする人々)、イヌイット(北極地方の人々)に区別される。そのファースト・ネーションズの1つにあたるハイダ族が、このクイーンシャーロット(ハイダグワイ)諸島で独特な文化を築き、現在もその子孫達が強い文化的プライドと土地や生き物との深い霊的関係を保ち、生活している。
そのハイダ族の名が歴史上登場するのは1775年頃、その当時の人口は約6,000人。4つの異なる地域独特の言語を持ち、芸術性の高い彫刻を施したトーテムポール等の建造物および装飾品を持ち、数十の集落に分かれて暮らしていたと記録されている。その彼ら独特の文化とは、現代社会で言う「残す文化」ではなく、「還る文化」である。簡単に言うと、「所有する」という概念を持たない彼らは、「受け継ぐ」という行動で独自の文化を今日まで残してきたといえる。例えば、先祖代々受け継いできた漁場等を、次世代の子孫まで受け継ぎ、受け渡すというように。
一時は10,000人以上いたと言われるハイダ族も、19世紀末頃には、ヨーロッパ人が持ち込んだ疾病(天然痘)による激減と侵略で、小さな集落のほとんどは放棄され、大きな集落へと移住してしまった。現在では北島のマセットとスキッドゲートを中心にハイダ族の子孫達は住んでいる。
アンソニー島に朽ち果て残るトーテムポールや村落跡は、既に100年以上も前のもので、今日より20年は残らないだろうといわれている。
「跡」は消え去っても、彼らに深く根ざすこうした信念は、これまで同様この先も受け継ぎ残ってもらいたい「文化」である。
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